やがて裏手の一室に這入《はい》って、寝《しん》に就《つ》いたが、わたくしは旅のつかれを知りながらなかなか寐つかれなかった。わたくしは上陸したその瞬間から唯物珍らしいというよりも、何やら最《もう》少し深刻な感激に打たれていたのであった。その頃にはエキゾチズムという語《ことば》はまだ知ろうはずもなかったので、わたくしは官覚の興奮していることだけは心づいていながら、これを自覚しこれを解剖するだけの智識がなかったのである。
 しかし日に日に経験する異様なる感激は、やがて朧《おぼろ》ながらにも、海外の風物とその色彩とから呼起されていることを知るようになった。支那人の生活には強烈なる色彩の美がある。街を歩いている支那の商人や、一輪車に乗って行く支那婦人の服装。辻々に立っている印度人の巡査が頭《かしら》に巻いている布や、土耳古《トルコ》人の帽子などの色彩。河の上を往来している小舟の塗色《ぬりいろ》。これに加うるに種々なる不可解の語声。これらの色と音とはまだ西洋の文学芸術を知らなかったにもかかわらず、わたくしの官覚に強い刺戟を与えずにはいなかったのである。
 或日わたくしは、銅羅《どら》を鳴《なら》し
前へ 次へ
全11ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング