できるのだと、車の中で父が語られた。
 昭和の日本人は秋晴れの日、山に遊ぶことを言うにハイキングとやら称する亜米利加《アメリカ》語を用いているが、わたくしの如き頑民に言わせると、古来慣用せられた登高《とうこう》の一語で足りている。
 その年陰暦九月十三夜が陽暦のいつの日に当っていたか、わたくしは記憶していない。しかしたまたまこの稿を草するに当って、思い出したのは或夜父が晩餐の後、その書斎で雑談しておられた時、今夜は十三夜だと言って、即興の詩一篇を示された事である。その詩は父の遺稿に、
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蘆花如雪雁声寒  〔蘆花《ろか》は雪の如く 雁《かり》の声は寒し
把酒南楼夜欲残   南楼《なんろう》に酒を把《と》り 夜《よる》残《のこ》らんと欲《ほっ》す
四口一家固是客   四口《しこう》の一家《いっか》は固《もと》より是《こ》れ客なり
天涯倶見月団欒   天涯《てんがい》に倶《とも》に見る月も団欒《だんらん》す〕
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としている。
 わたくしはこのまま長く上海に留《とどま》って、適当な学校を見つけて就学したいと思った。東京に帰ればやがて徴兵検査も受けなければならず。また高等学校にでも入学すれば柔術や何かをやらなければならない。わたくしにはそれが何よりもいやでならなかったのである。しかしわたくしの望みは許されなかった。そしてその年の冬、母の帰京すると共に、わたくしもまた船に乗った。公園に馬車を駆《か》る支那美人の簪《かざし》にも既に菊の花を見なくなった頃であった。
 凡ては三十六、七年むかしの夢となった。歳月人を俟《ま》たず、匆々《そうそう》として過ぎ去ることは誠に東坡《とうば》が言うが如く、「惆悵《ちゅうちょう》す東欄一樹の雪。人生看るを得るは幾清明《いくせいめい》ぞ。」である。
[#地から2字上げ]甲戌十月記



底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
   2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
   1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
※「漢詩文の訓読は蜂屋邦夫氏を煩わした。」旨の記載が、底本の編集付記にあります。
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年3月8日作成
2010年6月1日修正
青空
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