れわれを呼んだ。わたくしはその魚を押えて学生の立っている桟橋へ舟をつけたので、すっかり心安くなり、その後われわれが弁当なぞ食べているのを見たりすると、土瓶《どびん》に暖い茶を入れて持って来てくれるようなこともあった。
 月日《つきひ》は過ぎて行く。いつかわれわれは舟遊びにも飽きて舟を借りにも行かなくなってから、また更に月日がたつ。尋常中学を出て専門の学校も卒業した後、或会社に雇われて亜米利加《アメリカ》へ行った。そして或日曜日の午後《ひるすぎ》、紐育《ニューヨーク》中央公園のベンチで新聞を読んでいた時、わたくしの顔を見て、立止ると共にわたくしの名を呼んだ紳士があった。誰あろう。幾年か前浅草橋場の岸の桟橋で釣をしていたその人である。少年の頃の回想はその時いかに我々を幸福にしたか知れない。
 橋場辺の岸から向岸を見ると、帝国大学のペンキに塗られた艇庫《ていこ》が立っていて、毎年|堤《つつみ》の花の咲く頃、学生の競漕《きょうそう》が行われて、艇庫の上のみならず、そのあたり一帯が競漕を見にくる人で賑かになる。堤の上に名物《めいぶつ》言問団子《ことといだんご》を売る店があり、堤の桜の由来を記した
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