三年過るとその興味も追々他に変じて、一ツ舟に乗り合せた学校友達とも遠ざかり、中には病死したものもあるが、月日と共にその名さえ忘れてしまって、思出すことさえできないのがある。
その頃わたくしの家は生れた小石川《こいしかわ》から飯田町《いいだまち》へ越していたので、何かの折、その辺を歩き過る時、ぽつりぽつりと前後なくその頃の事が思い出される。昨夜見た夢を覚めた後に思返すようなものだ。
浅草も今戸橋場《いまどはしば》あたりの河岸である。河水に浮べた舟から見ると、別荘のような広い構えの屋敷が幾軒となく並んでいて、いずれも石河岸から流れの上に桟橋《さんばし》を浮べている。われわれはそういう桟橋に漕いでいるボートをつないで弁当を食べたり腕のつかれを休めたりしたものであるが、或日或屋敷の桟橋へ出て釣をしている学生を見たが、われわれと年頃が同じくらいなので、一度ならず二度ならず、度重《たびかさな》るにつれて、別に理由《わけ》もなく互に声でもかけ合って見たいような気になっていた。する中《うち》或日の事、学生の釣り上げた鮒《ふな》かと思う大きな魚がわれわれのボートに飛び込んだ。学生は大きな声を出してわ
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