みょうじょう》が※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]々《けいけい》として浮いているのに、覚えず立止って、出来もせぬ俳句を考えたりする中《うち》、先へ行く女の姿は早くも夕闇の中にかくれてしまったが、やがて稲荷前の電車停留場へ来ると、その女は電柱の下のベンチに腰をかけ、電燈の光をたよりに懐中鏡《ふところかがみ》を出して化粧を直している。コートは着ていないので、一目に見分けられる着物や羽織。化粧の様子はどうやら場末《ばすえ》のカフェーにいる女給らしくも思われた。わたくしは枯蘆の中から化けて出た狐のような心持がして、しげしげと女の顔を見た。
 電線の鳴る音を先立てて、やがて電車が来る。洋服の男が二人かけ寄って、ともどもに電車に乗り込む。洲崎大門前の終点に来るまで、電車の窓に映るものは電柱につけた電燈ばかりなので、車から降りると、町の燈火《とうか》のあかるさと蓄音機のさわがしさは驚くばかりである。ふと見れば、枯蘆の中の小家から現れた女は、やはり早足にわたくしの先へ立って歩きながら、傍目《わきめ》も触れず大門の方へ曲って行った。狐でもなく女給でもなく、公休日にでも外出した娼妓であったらしい。わたくしはどこで夕飯《ゆうめし》をととのえようかと考えながら市設の電車に乗った。
 その後《のち》一年ほどたってから再び元八まんの祠《ほこら》を尋ねると、古い社殿はいつの間にか新しいものに建替えられ、夕闇にすかし見た境内の廃趣は過半なくなっていた。世相の急変は啻《ただ》に繁華な町のみではなく、この辺鄙《へんぴ》にあってもまた免れないのである。わたくしは最初の印象を記憶するためにこの記をつくった。時に昭和九年|杪冬《びょうとう》の十二月十五日である。
 元八幡宮のことは『江戸名所|図会《ずえ》』、『葛西志《かさいし》』、及び風俗画報『東京近郊名所図会』等の諸書に審《つまびらか》である。
[#地から2字上げ]甲戌《こうじゅつ》十二月記



底本:「荷風随筆集(上)」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年9月16日第1刷発行
   2006(平成18)年11月6日第27刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
   1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:

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