好《い》い心持がする。上田敏《うえだびん》先生もいつぞや上京された時自分に向って、京都の住《すま》いもいわば旅である。東京の宿も今では旅である。こうして歩いているのは好い心持だといわれた事がある。
 自分は動いている生活の物音の中《なか》に、淋しい心持を漂《ただよ》わせるため、停車場の待合室に腰をかける機会の多い事を望んでいる。何のために茲《ここ》に来るのかと駅夫に訊問された時の用意にと自分は見送りの入場券か品川行の切符を無益に買い込む事を辞さないのである。

 再びいう日本の十年間は西洋の一世紀にも相当する。三十間堀の河岸通《かしどおり》には昔の船宿が二、三軒残っている。自分はそれらの家の広い店先の障子を見ると、母がまだ娘であった時分この辺《へん》から猿若町《さるわかちょう》の芝居見物に行くには、猪牙船《ちょきぶね》に重詰《じゅうづめ》の食事まで用意して、堀割から堀割をつたわって行ったとかいわれた話をば、いかにも遠い時代の夢物語のように思い返す。自分がそもそも最初に深川の方面へ出掛けて行ったのもやはりこの汐留《しおどめ》の石橋《いしばし》の下から出発する小《ちいさ》な石油の蒸汽船に乗
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