キ時には、いつも明治の初年|返咲《かえりざ》きした第二の江戸を追想せねばならぬ。無論、実際よりもなお麗《うるわ》しくなお立派なものにして憬慕《けいぼ》するのである。
現代の日本ほど時間の早く経過する国が世界中にあろうか。今過ぎ去ったばかりの昨日《きのう》の事をも全く異《ちが》った時代のように回想しなければならぬ事が沢山にある。有楽座を日本唯一の新しい西洋式の劇場として眺めたのも僅に二、三年間の事に過ぎなかった。われわれが新橋の停車場《ていしゃじょう》を別れの場所、出発の場所として描写するのも、また僅々四、五年間の事であろう。
今では日吉町《ひよしちょう》にプランタンが出来たし、尾張町《おわりちょう》の角《かど》にはカフェエ・ギンザが出来かかっている。また若い文学者間には有名なメイゾン・コオノスが小網町《こあみちょう》の河岸通《かしどお》りを去って、銀座附近に出て来るのも近い中《うち》だとかいう噂がある。しかしそういう適当な休み場所がまだ出来なかった去年頃まで、自分は友達を待ち合わしたり、あるいは散歩の疲れた足を休めたり、または単に往来《ゆきき》の人の混雑を眺めるためには、新橋停車場内の待合所を択《えら》ぶがよいと思っていた。
その頃には銀座界隈には、己にカフェエや喫茶店やビイヤホオルや新聞縦覧所などいう名前をつけた飲食店は幾軒もあった。けれども、それらはいずれも自分の目的には適しない。一時間ばかりも足を休めて友達とゆっくり話をしようとするには、これまでの習慣で、非常に多く物を食わねばならぬ。ビイル一杯が長くて十五分間、その店のお客たる資格を作るものとすれば、一時間に対して飲めない口にもなお四杯の満《まん》を引かねばならない。然らずば何となく気が急《せ》いて、出て行けがしにされるような僻《ひが》みが起って、どうしても長く腰を落ち付けている事が出来ない。
これに反して停車場内の待合所は、最も自由で最も居心地よく、聊《いささ》かの気兼《きが》ねもいらない無類上等の 〔Cafe'〕《カフェエ》 である。耳の遠い髪の臭い薄ぼんやりした女《おんな》ボオイに、義理一遍のビイルや紅茶を命ずる面倒もなく、一円札に対する剰銭《つりせん》を五分もかかって持《もつ》て来るのに気をいら立てる必要もなく、這入《はい》りたい時に勝手に這入って、出たい時には勝手に出られる。自分は山の手の書
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