斎の沈静した空気が、時には余りに切《せつ》なく自分に対して、休まずに勉強しろ、早く立派なものを書け、むつかしい本を読めというように、心を鞭打つ如く感じさせる折には、なりたけ読みやすい本を手にして、この待合所の大きな皮張《かわばり》の椅子《いす》に腰をかけるのであった。冬には暖い火が焚《た》いてある。夜《よる》は明い燈火《ともしび》が輝いている。そしてこの広い一室の中《なか》にはあらゆる階級の男女が、時としてはその波瀾ある生涯の一端を傍観させてくれる事すらある。Henri《アンリイ》 Bordeaux《ボルドオ》 という人の或る旅行記の序文に、手荷物を停車場に預けて置いたまま、汽車の汽笛の聞える附近の宿屋に寝泊りして、毎日の食事さえも停車場内の料理屋で準《ととの》え、何時《なんどき》にても直様《すぐさま》出発し得られるような境遇に身を置きながら、一向に巴里《パリー》を離れず、かえって旅人のような心持で巴里の町々を彷徨《ほうこう》している男の話が書いてある。新橋の待合所にぼんやり腰をかけて、急《いそが》しそうな下駄の響と鋭い汽笛の声を聞いていると、いながらにして旅に出たような、自由な淋しい好《い》い心持がする。上田敏《うえだびん》先生もいつぞや上京された時自分に向って、京都の住《すま》いもいわば旅である。東京の宿も今では旅である。こうして歩いているのは好い心持だといわれた事がある。
 自分は動いている生活の物音の中《なか》に、淋しい心持を漂《ただよ》わせるため、停車場の待合室に腰をかける機会の多い事を望んでいる。何のために茲《ここ》に来るのかと駅夫に訊問された時の用意にと自分は見送りの入場券か品川行の切符を無益に買い込む事を辞さないのである。

 再びいう日本の十年間は西洋の一世紀にも相当する。三十間堀の河岸通《かしどおり》には昔の船宿が二、三軒残っている。自分はそれらの家の広い店先の障子を見ると、母がまだ娘であった時分この辺《へん》から猿若町《さるわかちょう》の芝居見物に行くには、猪牙船《ちょきぶね》に重詰《じゅうづめ》の食事まで用意して、堀割から堀割をつたわって行ったとかいわれた話をば、いかにも遠い時代の夢物語のように思い返す。自分がそもそも最初に深川の方面へ出掛けて行ったのもやはりこの汐留《しおどめ》の石橋《いしばし》の下から出発する小《ちいさ》な石油の蒸汽船に乗
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング