tのない思ひを抱《いだ》いて、新大陸の海岸一帯を蔽ふ松の深林ばかりを散歩してゐた。自然が如何に公平で如何に温いものであるかを心の底から会得したやうに感じたのも此の時が初めてゞあつた。
 横浜を出て四日間の航海と、幾百里離れた長崎の風景とが、東京を忌む自分の心にいかなる慰安を与へたかはこゝに繰返して云ふ必要がない。自分は帰りの便船を待つべき三日間をば尚少《もすこ》し遠く尚少し離れた処に送りたいと思ひ、ホテルの案内書をたよりにして島原の小浜《をばま》と云ふ海岸に赴いたのである。こゝは人も知る通り、上海やマニラや浦塩《うらじほ》あたりから、日光箱根などへ行く事の出来ない種類の西洋人が、日本の風景を唯一の慰藉として遊びに来る土地である。
 自分は其れ等の外客と小蒸汽に乗つて島原の入海を越え海岸の小さな木造《きづく》りのホテルに宿を取つた。

     三

 白い蚊帳《かや》のついた寝台《ねだい》と籐編《とうあみ》の椅子と鏡台と洗面器の外には何もない質素な一室である。壁には画額《ゑがく》もなく、窓には木綿更紗《もめんさらさ》の窓掛《まどかけ》が下げてあるばかり。然し自分はどれほどこの無装飾の淋
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