オい室《へや》を喜んだか知れない。東京の帝国ホテルの食堂を飾つてゐるやうなサムライ商会式の西洋趣味に驚かされる恐れもなく、または日本風の宿屋の床の間や鴨居に俗気紛々たる官吏政治家等の筆蹟を見て不快を感ずるやうな事もなくて済むからである。装飾のない室の外は葭簀《よしず》の日避《ひよけ》をした外縁《ヴエランダ》になつてゐて、広々した海湾の景色は寝台の上に横《よこた》はりながら一目《ひとめ》に見晴《みはら》すことが出来る。強い日光に照りつけられた海水の反映が室の壁と天井とに絶間《たえま》なく波紋の揺《うご》く影を描《ゑが》いてゐる。窓の上に巣を作つてゐる燕が、幾羽となく海の方へ飛んで行つては海草《うみくさ》のちぎれを喙《ついば》んで来る。自分はこの可愛らしい燕と思ふさま照り輝く夏の日光と入海の彼方に延長する優しい丘陵とに対して、何といふ事もなくダンヌンチオ作品中の風景に接する思をなした。これと共に南の方へ漂つて来たといふ心持が一層深くなるのを覚えた。
夏の昼過ぎの明《あかる》い寂寞《せきばく》は、遠い階下の一室から聞える玉突の音と折々《をり/\》起る人々の笑ひ声、森閑とした白昼のホテルの廊
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