ラめに頓挫した日本民族雄飛の夢のはかない名残りのみである。痛嘆すべきこの二つの歴史は、畿内の山河《さんが》がいつも自分に向つて消極的教訓を語るに反して、長崎の風景に対して一種名状しがたき憤恨《ふんこん》と神秘の色調を帯びさせてゐるやうに思はれる。今では同じく京都のやうに悲しく廃《すた》れ果てゝはゐるものゝ、猶《なほ》絶えず海と船とによつて外国の空気が通《かよ》つてゐるが為めか京都ほど暗くはない。狭くはない。支那風に彩色した軽舟《サンパン》は真青《まつさお》な海の上と灰色した堀割の石垣と石橋の下をば絶えず動いてゐる。西洋人と支那人と内地人の子供は青物市場のほとりに入乱れて遊んでゐる。稲佐《いなさ》と丸山の女は日本語とロシヤ語と英語とで一夜《いちや》の恋を語つてゐる。海岸通の酒場では黒奴《ネグロ》が弾くピアノにつれてポルトガルの女が踊つてゐる。いつも石の階段と敷石の坂道を上《のぼ》つて行く町々の人家は皆古びて何処となく頑丈で、而《しか》も小綺麗である。道路は極めて狭いけれども、吾々が住む東京の山の手のやうに軍人の馬と荷車の馬とが荒れ廻つてゐず、又下町の大通のやうに年《ねん》が年中《ねんぢゆ
前へ 次へ
全21ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング