ツてゐる事を自覚するにつけ、自分は美しい星の下《した》なるこの人生に対して、殆ど泣きたい程|切《せつ》なく鋭い愛着の念に迫まられるのである。
波浪を蹴つて進んで行く汽船の機関の一呼吸《ひとこきふ》する響毎《ひびきごと》に、自分の心は其身《そのみ》と共に遠い未知の境《さかひ》に運ばれて行く。昨日も海、今日もまた海、そして四日目の朝に、自分は絵のやうに美しく細長い入江の奥なる長崎に着いたのである。
二
長崎は京都と同じやうに、極めて綺麗な、物静かな都であつた。石道《いしみち》と土塀《どべい》と古寺《ふるでら》と墓地と大木の多い街であつた。花の多い街であつた。樹木の葉の色は東京などよりも一層鮮かに濃いやうに見えた。東京の蝉とは全く違つた鳴声《なきごゑ》の蝉が、夕立の降つてくるやうに市中《しちゆう》到る所の樹木に鳴いてゐた。果物を売り歩く女の呼声が湿気《しつき》のない晴れ渡つた炎天の下《もと》に、長崎は日本からも遠く、支那からも遠く、切支丹の本国からも遠い/\処である事を、沁々《しみ/″\》と旅客の心に感じさせるやうに響く。この云ひがたい遠国的の情調は、マニラから避暑に来る米
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