^\と追ひかけて来て互に相縺《あひもつ》れ合ふのである。縺れ合ふ鐘の余韻は、早やたつぷりと暮れ果てた灯火の港を見下《みおろ》す自分の心に向つて、お前は何故《なぜ》もつと早く此処へ来なかつたのだ。東京はもうお前の住むべき処ではない。早く俗縁を断《た》つて、過去の繁華を夢に見つゝ心地よく衰頽の平和に眠つて行く此の長崎に来い………と諭《さと》してくれるやうにも思はれた。
 敢《あへ》て鐘の音《ね》のみではない。到る処散歩に適する市街の光景は皆自分に向つて、日本中でお前が身を隠すに適当な処は支那でもなく日本でもなく西洋でもない、此《この》特別の長崎ばかりだぞと囁くやうに思はれた。幾ヶ所とも知れぬ長崎の古い寺々は蔦《つた》まつはる其の土塀と磨減《すりへ》つた石段と傾いた楼門の形とに云ひ知れぬ懐しさを示すばかりで、奈良京都の寺院の如くに過去の権威の圧迫を感じさせない。曲学阿世の学者が無理やりに過去の日本歴史から造り出した教訓的臭味を感じさせない。若《も》し此地《このち》に過去の背景があるとすればそれは山の手なる天主堂の壁にかけてある油絵が示してゐるやうな、悲壮なる宗教迫害史の一節か、然らずば鎖国の為めに頓挫した日本民族雄飛の夢のはかない名残りのみである。痛嘆すべきこの二つの歴史は、畿内の山河《さんが》がいつも自分に向つて消極的教訓を語るに反して、長崎の風景に対して一種名状しがたき憤恨《ふんこん》と神秘の色調を帯びさせてゐるやうに思はれる。今では同じく京都のやうに悲しく廃《すた》れ果てゝはゐるものゝ、猶《なほ》絶えず海と船とによつて外国の空気が通《かよ》つてゐるが為めか京都ほど暗くはない。狭くはない。支那風に彩色した軽舟《サンパン》は真青《まつさお》な海の上と灰色した堀割の石垣と石橋の下をば絶えず動いてゐる。西洋人と支那人と内地人の子供は青物市場のほとりに入乱れて遊んでゐる。稲佐《いなさ》と丸山の女は日本語とロシヤ語と英語とで一夜《いちや》の恋を語つてゐる。海岸通の酒場では黒奴《ネグロ》が弾くピアノにつれてポルトガルの女が踊つてゐる。いつも石の階段と敷石の坂道を上《のぼ》つて行く町々の人家は皆古びて何処となく頑丈で、而《しか》も小綺麗である。道路は極めて狭いけれども、吾々が住む東京の山の手のやうに軍人の馬と荷車の馬とが荒れ廻つてゐず、又下町の大通のやうに年《ねん》が年中《ねんぢゆ
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