むは過ぎ行く今年の春の為めではない、又|来《く》べき翌年《よくねん》の春の為めと歌つたのは誰《た》れであつたか忘れてしまつたが、春はわが身に取つて異る秋に等しいと云つたのは、南国の人の常として殊更に秋を好むジヤン・モレアスである。
空は日毎に青く澄んで、よく花見帰りの午後《ひるすぎ》から突然暴風になるやうな気候の激変は全くなくなつた。日の光は次第に強くなつて赤味の多い柚色《ゆずいろ》の夕日はもう黄昏《たそがれ》も過ぎ去る頃かと思ふ時分まで、案外長く何時までも高い樫の梢の半面や、又は低く突出た楓の枝先などに残つて居る。或は何処から差込んで来るものとも知れず、植込《うゑごみ》の奥深い土の上にばら/\な斑点を描いて居る事もあつた。かゝる夕方に空を仰ぐと冬には決して見られない薄鼠色の鱗雲が名残の夕日に染められたまゝ動かず空一面に浮いてゐて、草の葉をも戦《そよ》がせない程な軽い風が食後に散歩する人をばいつか星の冴えそめる頃まで遠く郊外の方へと連れて行く。
何処《いづこ》を見ても若葉の緑は洪水のやうに漲り溢れて日の光に照される緑の色の強さは閉めた座敷の障子にまで反映するほどである。されば午後の
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