音楽」から見れば歌曲と云はうよりは楽器を用ゐる朗読詩とも云ふべく、咄嗟《とつさ》の感情に訴へるには冷《ひやゝ》か過ぎる。「哥沢節《うたざはぶし》」は時代のちがつた花柳界《くわりうかい》の弱い喞《かこ》ちを伝へたに過ぎず、「謡曲《えうきよく》」は仏教的の悲哀を含むだけ古雅《こが》であるだけ二十世紀の汽船とは到底|相容《あひい》れざる処がある。あれは苫舟《とまぶね》で艫《ろ》の音を聞きながら遠くに墨絵のやうな松の岸辺を見る景色でなくてはならぬ。其他《そのた》には薩摩琵琶歌《さつまびはうた》だの漢詩|朗吟《らうぎん》なぞも存在しているが、此れも同じく色彩の極めて単純な日本特有の背景と一致した場合、初歩期の単調が、ある粗朴《そぼく》な悲哀の美感を催《もよほ》させるばかりである。
自分は全く絶望した。自分はいか程溢るゝ感激、乱るゝ情緒《じやうしよ》に悶《もだ》えても其れを発表すべく其れを訴ふべき音楽を持つて居ない国民であるのだ。かゝる国民かゝる人種が世界の他《た》にあるであらうか。
下の甲板から此の時|印度《インド》の殖民地へ出稼ぎに行《ゆ》くイギリスの鉄道工夫が二三人と、香港《ホンコン》へ
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