て、夜《よる》の窓下にセレナドを弾き、女は薔薇《ばら》の花を黒髪にさしあらはなる半身をマンチラに蔽ひ、夜を明して舞《ま》ひ戯《たはむ》るゝ遊楽の西班牙を見る事が出来るであらう。
今、舷《ふなばた》から手にとるやうに望まれる向《むかう》の山――日に照らされて土は乾き、樹木は少《すくな》く、黄ばんだ草のみに蔽はれた山間に白い壁塗りの人家がチラ/\見える、――あの山一ツ越えれば其処は乃《すなは》ちミユツセが歌つたアンダルジヤぢやないか。ビゼーが不朽の音楽を作つた「カルメン」の故郷ぢやないか。
目もくらむ衣裳の色彩と熱情湧きほとばしる音楽を愛し、風の吹くまゝ気の行くまゝの恋を思ふ人は、誰れか心をドンジヤンが祖国イスパニヤに馳《は》せぬものがあらう。
熱い日の照るこの国には、恋とは男と女の入り乱れて戯《たはむ》れる事のみを意味して、北の人の云ふやうに、道徳だの、結婚だの、家庭だのと、そんな興のさめる事とは何の関係もないのだ。祭礼《まつり》の夜《よ》に契《ちぎり》を結んだ女の色香に飽きたならば、直ちに午過《ひるすぎ》の市場《フエリヤ》に行《ゆ》きて他《た》の女の手を取り給へ。若し、其の女が人
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