進み、円満な家庭のさまや無邪気な子供の生活を描《うつ》した英語の読本、其れから当時の雑誌や何やらを読んで行くと愛《ラブ》だとか家庭《ホーム》だとか云ふ文字《もんじ》の多く見られる西洋の思想が、実に激しく私の心を突いたです。同時に我が父の口にせられる孔子の教《おしへ》だの武士道だのと云ふものは、人生幸福の敵である、と云ふ極端な反抗の精神が、何時とは無しに堅く胸中に基礎を築き上げて了つた。で、年と共に、鳥渡《ちよつと》した日常の談話にも父とは意見が合はなくなりましたから、中学を出て、高等の専門学校に入学すると共に、私は親元を去つて寄宿舎に這入《はい》り、折々は母を訪問して帰る道すがら、自分は三年の後卒業したなら、父と別れて自分一個の新家庭を造り、母を請じて愉快に食事をして見やう……とよく其様《そんな》事を考へて居ましたが、あゝ人生夢の如しで、私の卒業する年の冬、母上は黄泉《あのよ》に行かれた。
 何でも夜半《よなか》近くから、急に大雪が降出した晩の事で、父は近頃買入れた松の盆栽をば、庭の敷石に出して置いたので、この雪の一夜を其の儘にして置いたなら雪の重さで枝振りが悪くなるからと、下女か誰か
前へ 次へ
全11ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング