『いや、時々|麦酒《ビール》位は遣るやうです。大した事は有りません。』
『それぢや、君の家庭は平和でせうね。実際、酒は不可《いか》んです。僕も酒は何によらず一滴も飲《や》るまいとは思つて居るんですが、矢張り多少は遺伝ですね。然し、私は日本酒だけは、どうしても口にする気がしないです……香気《にほひ》を嗅いだ丈けでも慄然《ぞつ》とします。』
『何故です。』
『死んだ母の事を思ひ出すからです。酒ばかりじや無い、飯から、味噌汁から、何に限らず日本の料理を見ると、私は直ぐ死んだ母の事を思ひ出すのです。
 聞いて下さいますか――
 私の父は或人《あるひと》は知つて居ませう、今では休職して了ひましたが、元は大審院の判事でした。維新以前の教育を受けた漢学者、漢詩人、其れに京都風の風流を学んだ茶人です。書画骨董を初め、刀剣、盆栽、盆石の鑑賞家で、家中はまるで植木屋と、古道具屋を一緒にしたやうでした。毎日の様に、何れも眼鏡を掛けた禿頭の古道具屋と、最《も》う今日では鳥渡《ちよつと》見られぬかと思ふ位な、妙な幇間《ほうかん》肌の属官や裁判所の書記どもが詰め掛けて来て、父の話相手、酒の相手をして、十二時過
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