るんだが……此の後も一生外国に居たいと云つて居る。』
 騒然たる一座の雑談は忽《たちま》ち此の奇な人物の噂さに集中した。頭取は流石《さすが》老人だけに当らず触らず。
『鳥渡《ちよつと》人好きはよくないかも知らんが極く無口な柔順《おとな》しい男で、長く居るだけ米国の事情に通じて居るから、事務上には必要の人才《じんさい》だ。』と穏な批評を加へて、酒杯に舌を潤はした。
『然《しか》し、余り交際を知らん男ぢや無いですか。何程《いくら》、酒が嫌ひでも、飯が嫌ひでも、日本人の好誼《よしみ》として、殊に今夜の如きは一月一日、元旦のお正月だ!。』と最初の酔つた声が不平らしく非難したが、すると、此《これ》に応じて、片隅から、今までは口を出さなかつた新しい声が、徐《おもむろ》に、
『然《しか》しまア、さう攻撃せずと許して置き給へ。人には意外な事情があるもんだ、僕もつい此間まで知らなかつたのだが、先生の日本酒嫌ひ、日本飯嫌ひには深い理由があるんだ。』
『はア、さうか。』
『僕はそれ以来、大《おほひ》に同情を表して居る。』
『一体、どう云ふ訳だ?』
『正月の話には、ちと適当しないやうだが……。』と彼は前置して
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