を呼び起して家の中《うち》へ取入れさせやうと云はれた。処《ところ》が、母上は折悪しく下女が日中《ひる》風邪の気味で弱つて居た事を知つて居られたので、可哀さうですからと自ら寝衣《ねまき》のまゝで、雨戸を繰つて、庭に出て、雪の中をば重い松の盆栽を運ばれた……其の夜から風邪を引かれ、忽ち急性肺炎に変症したのださうです。
私は実に大打撃を蒙りました。其の後と云ふものは、友人と一緒に、牛肉屋だの料理屋なぞへ行つても、酒の燗が不可《いけ》ないとか飯の焚き方がまづいとか云ふ小言を聞くと、私は直ぐ悲惨な母の一生を思出して、胸が一杯になり、縁日や何かで人が植木を買つて居るのを見れば、私は非常な惨事を目撃した様に身を顫《ふる》はさずには居られなかつたのです。
処が幸にも一度、日本を去り、此の国へ来て見ると、万事の生活が全く一変して了つて、何一ツ悲惨を連想するものがないので、私は云《い》はれぬ精神の安息を得ました。私は殆どホームシツクの如何なるかを知りません。或る日本人は盛《さかん》に、米国の家庭や婦人の欠点を見出しては、非難しますが、私には例へ表面の形式、偽善であつても何でもよい、良人が食卓で妻の為めに肉を切つて皿に取つて遣れば、妻は其の返しとして良人の為めに茶をつぎ菓子を切る、其の有様を見るだけでも、私は非常な愉快を感じ、強いて其の裏面を覗《うかゞ》つて、折角の美しい感想を破るに忍びない。
私は春の野辺へ散策《ピクニツク》に出て大きなサンドウイツチや、林檎を皮ごと横かぢりして居る娘を見ても、或はオペラや芝居の帰り、夜更《よふけ》の料理屋で、シヤンパンを呑み、良人や男連には眼も呉れず饒舌《しやべ》つて居る人の妻を見ても、よしや、最《もう》少し極端な例に接しても、私は寧ろ喜びます、少くとも彼等は楽しんで居る、遊んで居る、幸福である。されば、妻なるもの、母なるものゝ幸福な様《さま》を見た事のない私の目には、此れさへ非常な慰籍《ゐしや》ぢやありませんか。
お分りになりましたらう。私の日本料理、日本酒嫌ひの理由《いはれ》はさう云ふ次第です。私の過去とは何の関係もない国から来る西洋酒と、母を泣かしめた物とは全く其の形と実質の違つて居る西洋料理、此れでこそ私は初めて食事の愉快を味ふ事が出来るのです。』
*
『恁《か》う云つてね、金田君は身上話を聞いて呉れたお礼だからと、僕が止めるのも聞かずに、到頭《たうとう》三鞭酒《シヤンパンしゆ》を二本ばかり抜いた。流石《さすが》西洋通だけあつて葡萄酒だの、三鞭酒なぞの名前は委《くは》しいもんだ。』
弁者《べんしや》は語り了つて、再び雑煮の箸を取上げた。一座|暫《しばら》くは無言の中に、女心の何につけても感じ易いと見えて、頭取の夫人の吐く溜息のみが、際立つて聞えた。
[#地付き](明治四十年五月)
底本:「花の名随筆1 一月の花」作品社
1998(平成10)年11月30日初版第1刷発行
底本の親本:「荷風全集 第四巻」岩波書店
1992(平成4)年7月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月9日作成
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