を立てるようになった。お豊には今年十八になる男の子が一人ある。零落《れいらく》した女親がこの世の楽しみというのは全くこの一人息子|長吉《ちょうきち》の出世を見ようという事ばかりで、商人はいつ失敗するか分らないという経験から、お豊は三度の飯を二度にしても、行く行くはわが児《こ》を大学校に入れて立派な月給取りにせねばならぬと思っている。
蘿月|宗匠《そうしょう》は冷えた茶を飲干《のみほ》しながら、「長吉はどうしました。」
するとお豊はもう得意らしく、「学校は今夏休みですがね、遊ばしといちゃいけないと思って本郷《ほんごう》まで夜学にやります。」
「じゃ帰りは晩《おそ》いね。」
「ええ。いつでも十時過ぎますよ。電車はありますがね、随分|遠路《とおみち》ですからね。」
「吾輩《こちとら》とは違って今時の若いものは感心だね。」宗匠は言葉を切って、「中学校だっけね、乃公《おれ》は子供を持った事がねえから当節《とうせつ》の学校の事はちっとも分らない。大学校まで行くにゃまだよほどかかるのかい。」
「来年卒業してから試験を受けるんでさアね。大学校へ行く前に、もう一ツ……大きな学校があるんです。」お豊は何も彼《か》も一口《ひとくち》に説明してやりたいと心ばかりは急《あせ》っても、やはり時勢に疎《うと》い女の事で忽《たちま》ちいい淀《よど》んでしまった。
「たいした経費《かかり》だろうね。」
「ええそれァ、大抵じゃありませんよ。何しろ、あなた、月謝ばかりが毎月《まいげつ》一円、本代だって試験の度々《たんび》に二、三円じゃききませんしね、それに夏冬ともに洋服を着るんでしょう、靴だって年に二足は穿《は》いてしまいますよ。」
お豊は調子づいて苦心のほどを一倍強く見せようためか声に力を入れて話したが、蘿月はその時、それほどにまで無理をするなら、何も大学校へ入れないでも、長吉にはもっと身分相応な立身の途《みち》がありそうなものだという気がした。しかし口へ出していうほどの事でもないので、何か話題の変化をと望む矢先《やさき》へ、自然に思い出されたのは長告が子供の時分の遊び友達でお糸《いと》といった煎餅屋《せんべいや》の娘の事である。蘿月はその頃お豊の家を訪ねた時にはきまって甥《おい》の長吉とお糸をつれては奥山《おくやま》や佐竹《さたけ》ッ原《ぱら》の見世物《みせもの》を見に行ったのだ。
「長吉が十八じゃ、あの娘《こ》はもう立派な姉《ねえ》さんだろう。やはり稽古に来るかい。」
「家《うち》へは来ませんがね、この先の杵屋《きねや》さんにゃ毎日|通《かよ》ってますよ。もう直《じ》き葭町《よしちょう》へ出るんだっていいますがね……。」とお豊は何か考えるらしく語《ことば》を切った。
「葭町へ出るのか。そいつア豪儀《ごうぎ》だ。子供の時からちょいと口のききようのませた、好《い》い娘《こ》だったよ。今夜にでも遊びに来りゃアいいに。ねえ、お豊。」と宗匠は急に元気づいたが、お豊はポンと長煙管《ながぎせる》をはたいて、
「以前とちがって、長吉も今が勉強ざかりだしね……。」
「ははははは。間違いでもあっちゃならないというのかね。尤《もっと》もだよ。この道ばかりは全く油断がならないからな。」
「ほんとさ。お前さん。」お豊は首を長く延《のば》して、「私の僻目《ひがめ》かも知れないが、実はどうも長吉の様子が心配でならないのさ。」
「だから、いわない事《こ》ッちゃない。」と蘿月は軽く握り拳《こぶし》で膝頭《ひざがしら》をたたいた。お豊は長吉とお糸のことが唯《ただ》何《なん》となしに心配でならない。というのは、お糸が長唄《ながうた》の稽古帰りに毎朝用もないのにきっと立寄って見る、それをば長吉は必ず待っている様子でその時間|頃《ごろ》には一足《ひとあし》だって窓の傍《そば》を去らない。それのみならず、いつぞやお糸が病気で十日ほども寝ていた時には、長吉は外目《よそめ》も可笑《おか》しいほどにぼんやりしていた事などを息もつかずに語りつづけた。
次の間《ま》の時計が九時を打出した時突然|格子戸《こうしど》ががらりと明いた。その明けようでお豊はすぐに長吉の帰って来た事を知り急に話を途切《とぎら》しその方に振返りながら、
「大変早いようだね、今夜は。」
「先生が病気で一時間早くひけたんだ。」
「小梅《こうめ》の伯父さんがおいでだよ。」
返事は聞えなかったが、次の間《ま》に包《つつみ》を投出す音がして、直様《すぐさま》長吉は温順《おとな》しそうな弱そうな色の白い顔を襖《ふすま》の間から見せた。
二
残暑の夕日が一《ひと》しきり夏の盛《さかり》よりも烈《はげ》しく、ひろびろした河面《かわづら》一帯に燃え立ち、殊更《ことさら》に大学の艇庫《ていこ》の真白《まっしろ》なペンキ塗の板目《はめ》に反映していたが、忽《たちま》ち燈《ともしび》の光の消えて行くようにあたりは全体に薄暗く灰色に変色して来て、満ち来る夕汐《ゆうしお》の上を滑って行く荷船《にぶね》の帆のみが真白く際立《きわだ》った。と見る間《ま》もなく初秋《しょしゅう》の黄昏《たそがれ》は幕の下《おり》るように早く夜に変った。流れる水がいやに眩《まぶ》しくきらきら光り出して、渡船《わたしぶね》に乗っている人の形をくっきりと墨絵《すみえ》のように黒く染め出した。堤の上に長く横《よこた》わる葉桜の木立《こだち》は此方《こなた》の岸から望めば恐しいほど真暗《まっくら》になり、一時《いちじ》は面白いように引きつづいて動いていた荷船はいつの間にか一艘《いっそう》残らず上流の方《ほう》に消えてしまって、釣《つり》の帰りらしい小舟がところどころ木《こ》の葉《は》のように浮いているばかり、見渡す隅田川《すみだがわ》は再びひろびろとしたばかりか静《しずか》に淋《さび》しくなった。遥か川上《かわかみ》の空のはずれに夏の名残を示す雲の峰が立っていて細い稲妻が絶間《たえま》なく閃《ひら》めいては消える。
長吉は先刻《さっき》から一人ぼんやりして、或《ある》時は今戸橋《いまどばし》の欄干《らんかん》に凭《もた》れたり、或時は岸の石垣から渡場《わたしば》の桟橋《さんばし》へ下りて見たりして、夕日から黄昏、黄昏から夜になる河の景色を眺めていた。今夜暗くなって人の顔がよくは見えない時分になったら今戸橋の上でお糸と逢《あ》う約束をしたからである。しかし丁度日曜日に当って夜学校を口実にも出来ない処から夕飯《ゆうめし》を済《すま》すが否やまだ日の落ちぬ中《うち》ふいと家《うち》を出てしまった。一しきり渡場へ急ぐ人の往来《ゆきき》も今では殆《ほとん》ど絶え、橋の下に夜泊《よどま》りする荷船の燈火《ともしび》が慶養寺《けいようじ》の高い木立を倒《さかさ》に映した山谷堀《さんやぼり》の水に美しく流れた。門口《かどぐち》に柳のある新しい二階家からは三味線が聞えて、水に添う低い小家《こいえ》の格子戸外《こうしどそと》には裸体《はだか》の亭主が涼みに出はじめた。長吉はもう来る時分であろうと思って一心《いっしん》に橋向うを眺めた。
最初に橋を渡って来た人影は黒い麻の僧衣《ころも》を着た坊主であった。つづいて尻端折《しりはしおり》の股引《ももひき》にゴム靴をはいた請負師《うけおいし》らしい男の通った後《あと》、暫《しばら》くしてから、蝙蝠傘《こうもりがさ》と小包を提げた貧し気《げ》な女房が日和下駄《ひよりげた》で色気もなく砂を蹴立《けた》てて大股《おおまた》に歩いて行った。もういくら待っても人通りはない。長吉は詮方《せんかた》なく疲れた眼を河の方に移した。河面《かわづら》は先刻《さっき》よりも一体に明《あかる》くなり気味悪い雲の峯は影もなく消えている。長吉はその時|長命寺辺《ちょうめいじへん》の堤の上の木立から、他分《たぶん》旧暦七月の満月であろう、赤味を帯びた大きな月の昇りかけているのを認めた。空は鏡のように明《あかる》いのでそれを遮《さえぎ》る堤と木立はますます黒く、星は宵の明星の唯《たっ》た一つ見えるばかりでその他《た》は尽《ことごと》く余りに明い空の光に掻き消され、横ざまに長く棚曳《たなび》く雲のちぎれが銀色に透通《すきとお》って輝いている。見る見る中《うち》満月が木立を離れるに従い河岸《かわぎし》の夜露をあびた瓦《かわら》屋根や、水に湿《ぬ》れた棒杭《ぼうぐい》、満潮に流れ寄る石垣下の藻草《もぐさ》のちぎれ、船の横腹、竹竿《たけざお》なぞが、逸早《いちはや》く月の光を受けて蒼《あお》く輝き出した。忽ち長吉は自分の影が橋板の上に段々に濃く描き出されるのを知った。通りかかるホーカイ節《ぶし》の男女が二人、「まア御覧よ。お月様。」といって暫《しばら》く立止った後《のち》、山谷堀の岸辺《きしべ》に曲るが否や当付《あてつけ》がましく、
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※[#歌記号、1−3−28]書生さん橋の欄干《らんかん》に腰|打《うち》かけて――
[#ここで字下げ終わり]
と立ちつづく小家《こいえ》の前で歌ったが金にならないと見たか歌いも了《おわ》らず、元の急足《いそぎあし》で吉原土手《よしわらどて》の方へ行ってしまった。
長吉はいつも忍会《しのびあい》の恋人が経験するさまざまの懸念《けねん》と待ちあぐむ心のいらだちの外《ほか》に、何とも知れぬ一種の悲哀を感じた。お糸と自分との行末……行末というよりも今夜会って後《のち》の明日《あした》はどうなるのであろう。お糸は今夜|兼《かね》てから話のしてある葭町《よしちょう》の芸者屋《げいしゃや》まで出掛けて相談をして来るという事で、その道中《どうちゅう》をば二人一緒に話しながら歩こうと約束したのである。お糸がいよいよ芸者になってしまえばこれまでのように毎日|逢《あ》う事ができなくなるのみならず、それが万事の終りであるらしく思われてならない。自分の知らない如何《いか》にも遠い国へと再び帰る事なく去《い》ってしまうような気がしてならないのだ。今夜のお月様は忘れられない。一生に二度見られない月だなアと長吉はしみじみ思った。あらゆる記憶の数々が電光のように閃《ひらめ》く。最初|地方町《じかたまち》の小学校へ行く頃は毎日のように喧嘩《けんか》して遊んだ。やがては皆《みん》なから近所の板塀《いたべい》や土蔵の壁に相々傘《あいあいがさ》をかかれて囃《はや》された。小梅の伯父さんにつれられて奥山の見世物《みせもの》を見に行ったり池の鯉《こい》に麩《ふ》をやったりした。
三社祭《さんじゃまつり》の折お糸は或年|踊屋台《おどりやたい》へ出て道成寺《どうじょうじ》を踊った。町内一同で毎年《まいとし》汐干狩《しおひがり》に行く船の上でもお糸はよく踊った。学校の帰り道には毎日のように待乳山《まつちやま》の境内《けいだい》で待合せて、人の知らない山谷《さんや》の裏町から吉原田圃《よしわらたんぼ》を歩いた……。ああ、お糸は何故《なぜ》芸者なんぞになるんだろう。芸者なんぞになっちゃいけないと引止めたい。長吉は無理にも引止めねばならぬと決心したが、すぐその傍《そば》から、自分はお糸に対しては到底それだけの威力のない事を思返《おもいかえ》した。果敢《はかな》い絶望と諦《あきら》めとを感じた。お糸は二ツ年下の十六であるが、この頃になっては長吉は殊更《ことさら》に日一日とお糸が遥《はる》か年上の姉であるような心持がしてならぬのであった。いや最初からお糸は長吉よりも強かった。長吉よりも遥《はるか》に臆病《おくびょう》ではなかった。お糸長吉と相々傘にかかれて皆なから囃された時でもお糸はびく[#「びく」に傍点]ともしなかった。平気な顔で長《ちょう》ちゃんはあたいの旦那《だんな》だよと怒鳴《どな》った。去年初めて学校からの帰り道を待乳山で待ち合わそうと申出《もうしだ》したのもお糸であった。宮戸座《みやとざ》の立見《たちみ》へ行こうといったのもお糸が先であった。帰りの晩《おそ》くなる事をもお糸の方がかえって心配しなかった。知らない道に迷っても、お糸は行ける
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