く。何処《どこ》か近くの家で百万遍《ひゃくまんべん》の念仏を称え始める声が、ふと物哀れに耳についた。蘿月は唯《たっ》た一人で所在《しょざい》がない。退屈でもある。薄淋《うすさび》しい心持もする。こういう時には酒がなくてはならぬと思って、台所を探し廻ったが、女世帯《おんなじょたい》の事とて酒盃《さかずき》一《ひと》ツ見当らない。表の窓際《まどぎわ》まで立戻って雨戸の一枚を少しばかり引き開けて往来を眺めたけれど、向側《むこうがわ》の軒燈《けんとう》には酒屋らしい記号《しるし》のものは一ツも見えず、場末の街は宵ながらにもう大方《おおかた》は戸を閉めていて、陰気な百万遍の声がかえってはっきり聞えるばかり。河の方から烈《はげ》しく吹きつける風が屋根の上の電線をヒューヒュー鳴《なら》すのと、星の光の冴《さ》えて見えるのとで、風のある夜は突然冬が来たような寒い心持をさせた。
 蘿月は仕方なしに雨戸を閉めて、再びぼんやり釣《つるし》ランプの下に坐って、続けざまに煙草を喫《の》んでは柱時計の針の動くのを眺めた。時々|鼠《ねずみ》が恐しい響《ひびき》をたてて天井裏を走る。ふと蘿月は何かその辺《へん》に読む
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