》をすました後《のち》、小梅《こうめ》の住居《すまい》から押上《おしあげ》の堀割《ほりわり》を柳島《やなぎしま》の方へと連れだって話しながら歩いた。堀割は丁度真昼の引汐《ひきしお》で真黒《まっくろ》な汚ない泥土《でいど》の底を見せている上に、四月の暖い日光に照付けられて、溝泥《どぶどろ》の臭気を盛《さかん》に発散している。何処《どこ》からともなく煤烟《ばいえん》の煤《すす》が飛んで来て、何処という事なしに製造場《せいぞうば》の機械の音が聞える。道端《みちばた》の人家は道よりも一段低い地面に建てられてあるので、春の日の光を外《よそ》に女房共がせっせと内職している薄暗い家内《かない》のさまが、通りながらにすっかりと見透《みとお》される。そういう小家《こいえ》の曲り角の汚れた板目《はめ》には売薬と易占《うらない》の広告に交《まじ》って至る処《ところ》女工募集の貼紙《はりがみ》が目についた。しかし間もなくこの陰鬱《いんうつ》な往来《おうらい》は迂曲《うね》りながらに少しく爪先上《つまさきあが》りになって行くかと思うと、片側に赤く塗った妙見寺《みょうけんじ》の塀と、それに対して心持よく洗いざらし
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