目をつぶって遠慮なく※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》をした後《のち》、身体《からだ》を軽く左右《さゆう》にゆすりながらお豊の顔をば何の気もなく眺めた。お豊はもう四十以上であろう。薄暗い釣《つるし》ランプの光が痩《や》せこけた小作りの身体《からだ》をばなお更に老《ふ》けて見せるので、ふいとこれが昔は立派な質屋《しちや》の可愛らしい箱入娘《はこいりむすめ》だったのかと思うと、蘿月は悲しいとか淋《さび》しいとかそういう現実の感慨を通過《とおりこ》して、唯《た》だ唯だ不思議な気がしてならない。その頃は自分もやはり若くて美しくて、女にすかれて、道楽して、とうとう実家を七生《しちしょう》まで勘当《かんどう》されてしまったが、今になってはその頃の事はどうしても事実ではなくて夢としか思われない。算盤《そろばん》で乃公《おれ》の頭をなぐった親爺《おやじ》にしろ、泣いて意見をした白鼠《しろねずみ》の番頭にしろ、暖簾《のれん》を分けてもらったお豊の亭主にしろ、そういう人たちは怒ったり笑ったり泣いたり喜んだりして、汗をたらして飽《あ》きずによく働いていたものだが、一人々々《ひとりひとり》皆
前へ
次へ
全94ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング