的の姿勢で活躍しているさまが描《えが》かれてある。この大きい絵看板を蔽《おお》う屋根形の軒には、花車《だし》につけるような造り花が美しく飾りつけてあった。
 長吉はいかほど暖い日和《ひより》でも歩いているとさすがにまだ立春になったばかりの事とて暫《しばら》くの間寒い風をよける処をと思い出した矢先《やさき》、芝居の絵看板を見て、そのまま狭い立見《たちみ》の戸口へと進み寄った。内《うち》へ這入《はい》ると足場の悪い梯子段《はしごだん》が立っていて、その中《なか》ほどから曲るあたりはもう薄暗く、臭い生暖《なまあたたか》い人込《ひとごみ》の温気《うんき》がなお更暗い上の方から吹き下りて来る。頻《しきり》に役者の名を呼ぶ掛声《かけごえ》が聞える。それを聞くと長吉は都会育ちの観劇者ばかりが経験する特種《とくしゅ》の快感と特種の熱情とを覚えた。梯子段の二、三段を一躍《ひとと》びに駈上《かけあが》って人込みの中に割込むと、床板《ゆかいた》の斜《ななめ》になった低い屋根裏の大向《おおむこう》は大きな船の底へでも下りたような心持。後《うしろ》の隅々《すみずみ》についている瓦斯《ガス》の裸火《はだかび》の光
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