まどやき》を売る店にわずかな特徴を見るばかり、何処《いずこ》の場末にもよくあるような低い人家つづきの横町《よこちょう》である。人家の軒下や路地口《ろじぐち》には話しながら涼んでいる人の浴衣《ゆかた》が薄暗い軒燈《けんとう》の光に際立《きわだ》って白く見えながら、あたりは一体にひっそりして何処《どこ》かで犬の吠《ほ》える声と赤児《あかご》のなく声が聞える。天《あま》の川《がわ》の澄渡《すみわた》った空に繁《しげ》った木立を聳《そびや》かしている今戸八幡《いまどはちまん》の前まで来ると、蘿月は間《ま》もなく並んだ軒燈の間に常磐津文字豊《ときわずもじとよ》と勘亭流《かんていりゅう》で書いた妹の家の灯《ひ》を認めた。家の前の往来には人が二、三人も立止って内《なか》なる稽古《けいこ》の浄瑠璃《じょうるり》を聞いていた。
折々恐しい音して鼠《ねずみ》の走る天井からホヤの曇った六分心《ろくぶしん》のランプがところどころ宝丹《ほうたん》の広告や『都新聞《みやこしんぶん》』の新年附録の美人画なぞで破《やぶ》れ目《め》をかくした襖《ふすま》を始め、飴色《あめいろ》に古びた箪笥《たんす》、雨漏《あまもり
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