めから覚悟していた事なので長吉は黙って首をたれて、何かにつけてすぐに「親一人子一人」と哀《あわれ》ッぽい事をいい出す母親の意見を聞いていた。午前《ひるまえ》稽古《けいこ》に来る小娘たちが帰って後《のち》午過《ひるすぎ》には三時過ぎてからでなくては、学校帰りの娘たちはやって来ぬ。今が丁度母親が一番手すきの時間である。風がなくて冬の日が往来の窓一面にさしている。折から突然まだ格子戸《こうしど》をあけぬ先から、「御免《ごめん》なさい。」という華美《はで》な女の声、母親が驚いて立つ間《ま》もなく上框《あがりがまち》の障子の外から、「おばさん、わたしよ。御無沙汰《ごぶさた》しちまって、お詫《わ》びに来たんだわ。」
長吉は顫《ふる》えた。お糸である。お糸は立派なセルの吾妻《あずま》コオトの紐《ひも》を解《と》き解き上って来た。
「あら、長《ちょう》ちゃんもいたの。学校がお休み……あら、そう。」それから付けたように、ほほほほと笑って、さて丁寧に手をついて御辞儀をしながら、「おばさん、お変りもありませんの。ほんとに、つい家《うち》が出にくいものですから、あれッきり御無沙汰しちまって……。」
お糸は
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