同に伴《ともな》って行く事が出来ないので、自然と軽侮《けいぶ》の声の中に孤立する。その結果は、遂に一同から意地悪くいじめられる事になりやすい。学校は単にこれだけでも随分|厭《いや》な処、苦しいところ、辛《つら》い処であった。されば長吉はその母親がいかほど望んだ処で今になっては高等学校へ這入《はい》ろうという気は全くない。もし入学すれば校則として当初《はじめ》の一年間は是非とも狂暴無残な寄宿舎生活をしなければならない事を聴知《ききし》っていたからである。高等学校寄宿舎内に起るいろいろな逸話《いつわ》は早くから長吉の胆《きも》を冷《ひや》しているのであった。いつも画学と習字にかけては全級誰も及ぶもののない長吉の性情は、鉄拳《てっけん》だとか柔術だとか日本魂《やまとだましい》だとかいうものよりも全く異《ちが》った他の方面に傾いていた。子供の時から朝夕に母が渡世《とせい》の三味線《しゃみせん》を聴くのが大好きで、習わずして自然に絃《いと》の調子を覚え、町を通る流行唄《はやりうた》なぞは一度聴けば直《す》ぐに記憶する位であった。小梅《こうめ》の伯父なる蘿月宗匠《らげつそうしょう》は早くも名人にな
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