るべき素質があると見抜いて、長吉をば檜物町《ひものちょう》でも植木店《うえきだな》でも何処《どこ》でもいいから一流の家元へ弟子入をさせたらばとお豊に勧めたがお豊は断じて承諾しなかった。のみならず以来は長吉に三味線を弄《いじ》る事をば口喧《くちやかま》しく禁止した。
 長吉は蘿月の伯父さんのいったように、あの時分から三味線を稽古《けいこ》したなら、今頃はとにかく一人前《いちにんまえ》の芸人になっていたに違いない。さすればよしやお糸が芸者になったにした処で、こんなに悲惨《みじめ》な目に遇《あ》わずとも済んだであろう。ああ実に取返しのつかない事をした。一生の方針を誤ったと感じた。母親が急に憎くなる。例えられぬほど怨《うらめ》しく思われるに反して、蘿月の伯父さんの事が何《なん》となく取縋《とりすが》って見たいように懐《なつか》しく思返された。これまでは何の気もなく母親からもまた伯父自身の口からも度々《たびたび》聞かされていた伯父が放蕩三昧《ほうとうざんまい》の経歴が恋の苦痛を知り初《そ》めた長吉の心には凡《すべ》て新しい何かの意味を以て解釈されはじめた。長吉は第一に「小梅の伯母さん」というのは
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