何も彼《か》も一口《ひとくち》に説明してやりたいと心ばかりは急《あせ》っても、やはり時勢に疎《うと》い女の事で忽《たちま》ちいい淀《よど》んでしまった。
「たいした経費《かかり》だろうね。」
「ええそれァ、大抵じゃありませんよ。何しろ、あなた、月謝ばかりが毎月《まいげつ》一円、本代だって試験の度々《たんび》に二、三円じゃききませんしね、それに夏冬ともに洋服を着るんでしょう、靴だって年に二足は穿《は》いてしまいますよ。」
 お豊は調子づいて苦心のほどを一倍強く見せようためか声に力を入れて話したが、蘿月はその時、それほどにまで無理をするなら、何も大学校へ入れないでも、長吉にはもっと身分相応な立身の途《みち》がありそうなものだという気がした。しかし口へ出していうほどの事でもないので、何か話題の変化をと望む矢先《やさき》へ、自然に思い出されたのは長告が子供の時分の遊び友達でお糸《いと》といった煎餅屋《せんべいや》の娘の事である。蘿月はその頃お豊の家を訪ねた時にはきまって甥《おい》の長吉とお糸をつれては奥山《おくやま》や佐竹《さたけ》ッ原《ぱら》の見世物《みせもの》を見に行ったのだ。
「長吉が十
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