は、俺が言わなくたって……松三はなんと思うか知らねえが。俺は、百姓の娘《こ》がこんなごっては……」
 祖母が横から、祖父の顔を睨《にら》むようにして、そして祖父の言葉尻を捉えるように言った。
「そんなこと言ったって、爺《じん》つあまや。何しろまだ十六だもの……裁縫《てど》習《なれ》えにもやんねえのだもの、考《かんげ》えで見ればこのわらしも……」
 祖母はまず自分自身の哀れなオールライフを涙|含《ぐ》ましく思った。
「考《かんげ》えで見れば、可哀想ださ。ほんでも、朝っぱらから、寝床の中で、書物を読んでるなんて、百姓の娘が……」
「学校の先生様になんのだぢゅうもの、何、いがすぺちゃ」と、黙り続けていた継母が突然口を入れた。
 松三は食事の間、一言も口をきかなかった。食事が済むと、しかし悠長に煙管《きせる》をくわえて、何事をおいても、この事を解決してしまわねばならないというような表情で、けれども、全く落ち着き払った態度で……。
「菊枝! 台所が済んだら、ちょっとここさ来《こ》うまず。」
 菊枝は台所からおどおどしながら出てきて、窮屈な雪袴《ゆきばかま》の膝を板の間に折った。
 父親は、掌《てのひら》でぽんぼんと煙草の吸い殻を落として、眤《じ》っと、項垂《うなだ》れた菊枝の顔を凝視《みつ》めた。
「菊枝! 貴様は、年も行かねえのに、いろいろど気がついて働いでくれで、仲々感心な奴だと思っていだら、もっての外の考えをもっていんなや?」
 菊枝は、黙々として項垂《うなだ》れ続けた。祖父は幾分後悔の気持ちで刻《きざ》み煙草を燻《くゆ》らし続けていたし、祖母はかばってやらねばならぬ折を、おどおどしながら待っていた。
「今までは本当に、全く感心な奴だと思っていたのに……今からは、そんなごってはなんねだでや。この通り、俺家《おらえ》ど言うもの、稼ぐ者ってば、俺とお前ばかりだべ。母《がが》は母で病身だし、他《ほか》は、年寄りわらし[#「わらし」に傍点]ばんだ。――そして、貴様になど、どんなことあったって、受かりこなどねえんだ。毎日それにばり一年もぶっ続け勉強した、かしゅくさんせえ、落第したんだもの。」
「百姓の子は……」祖父が突然口を入れた。「みっしり百姓のごとを習って、いいどこさ嫁に行けば、それでいいんだ。学《がく》で飯を食うべと思わねえで……」
「そんな、柄《がら》であんめえちゃ。」
 継母は台所の方から出てきて、罵《ののし》りを含んだ微笑に口を歪《ゆが》めながら言った。
 菊枝はその言葉がぎくりと胸にこたえた。が、彼女はちらりと睨むような視線を走らせたきり、尚も項垂れて黙り続けた。
「ようく聞いて置いでな、菊枝! 今おめえに稼ぎを休まれたら、父《ちゃん》が一人で、どうもこうもなんねえんだから……」
 こう言う祖母の表情は、ことにその眼は、菊枝の心に温《あたた》かな、しかも涙ぐましい影を落とした。
「そんでもこんでも、試験を受げて見っと言うのなら仕方がねえげっとも、ほんどき、旅費も何も自分で心配《すんぺえ》しんだでや。俺は、不賛成なごどには金ば出さねえがら……」
 父はこう言って煙管を敲《たた》いた。
「そんなごと無《ね》えんだから、早く稼ぎさ行ぐ支度をしてはあ……」
 祖母は傍らから、庇護《かば》うように言った。
 菊枝は渋々と立ち上がって、だが、すぐに山ゆきの支度にかかった。

     三

 菊枝はすっかり沈んでしまって、細い山路をのぼる時から、父親の踵《かかと》のあたりに視線を下ろしたきり、全く黙り続けていた。松三は、どうかしてこの不快な沈黙を破りたいと、しきりにその緒《いとぐち》を考えたり四辺《あたり》を見廻したりしていた。
 草の芽はゴム細工のような、さもなければセルロイド細工のような新芽を土の中から擡《もた》げていた。エボナイトのような弾力と光沢を持った、あらゆる樹木の梢《こずえ》に群がる木の芽は、ずんずんと日|毎《ごと》にふくらんで行き、いろいろの小鳥は思い思いの音色で木の枝に囀《さえず》り廻っていた。けれども、何ら沈黙を破るべき機会を与えられなかった。
 その沈黙! しかも、もの哀れな、涙ぐましい沈黙は正午になっても続いていた。松三は、母親の無い自分の子、この力無い表情を視続けることに堪えられなく思った。
「菊枝!」と、松三は突然、思い出したように彼女を呼んだ。
 その時、彼等|父娘《おやこ》はちらちらと崩れかかる榾火《ほだび》を取り巻いて、食後の憩《いこ》いを息ずいていたのであったが、菊枝は野を吹く微風に嬲《なぶ》られて、ゆれる絹糸の縺《もつ》れのような煙を凝視《みつ》めて、悩ましい空想に追い縋《すが》るという様子であった。が、彼女は、父親から呼びかけられて初めて僅かに顔をあげた。
「おめえな、菊枝……」と、父親は重苦しい口
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