振った。彼女は夫が助けに来るのを信じて部屋の中をぐるぐる歩き回っていた。間もなくノックの音がして、夫が入ってきた。彼女は感激のあまり言葉が出なかった。夫も黙っていた。二人は抱擁したままベッドに打ち倒れてしまったのだった。――夢ではない。彼女ははっきりと記憶している。
彼女はもう一度部屋の中を見回した。紫の笠《かさ》をしたスタンド・ランプが目を醒ましていて、薄紫の淡い光が泳ぎ回っているだけだった。彼女の夫はやっぱりいなかった。彼女はベッドの上から飛び降りた。そして、部屋の中を檻《おり》の中の獣のように駆け回った。
彼女はまたテーブルに乗って、破れたガラス窓から首を出した。街は夜更けらしく、静かになっていた。その時、彼女の背後でノックの音がした。ドアが開いて男の顔が出た。それが真っ白い洋服を着た彼女の夫だった。
「まあっ! あなた! どこへ行っていたの! どこへ行ったの?」
彼女は飛びついた。が、その瞬間に、彼女の夫は敏捷《びんしょう》にドアの陰に身体を隠した。
「どうしたえ? え? どうしたえ?」
こう言って、代わりに出てきたのは朝田だった。
「あなた! 行っちゃいけません」
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