へお回りでございましたら、わたし、ここで失礼させていただきますわ」
彼女は驚きの目で見上げた。そこから彼女の家までは、自動車が江東ホテルまで走る時間で充分歩いていけるからだった。
「回ったってすぐだ。ちょうど北海道のある築港から、急行セメントの検査に来た技師が江東ホテルに泊まっているものだから、ちょっと寄って、一緒に行ってもらうだけのことなんで……」
「でも、わたし急いでいるのでございますから」
しかし、自動車は彼女の言葉には耳も傾けずに、人通りの少ない河岸の大道路を折れて疾走しつづけた。彼女は気が気でなくなった。熱を出している赤ん坊のことが心配で心配でたまらないのだ。しかし、それは秘密を要することだと彼女は考えた。熱を出している子供の傍《そば》から通うことが、彼らの衛生観念の許すべきところでないと思ったからだった。
「その築港の技師のことで思い出したのだが、松島さん、あんたはその人と結婚をする気はないかね? あんたがそれを承知してくれりゃ、それでセメントの調査のほうはもう問題なしじゃがなあ! 無検査で採用されるんだが!」
彼女はまた、夫が彼らを罵倒していた言葉を思い出した。恥も
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