た》てる靴音のその音波で、靄はうらうらと溶けていった。その裂け目からバラックの建物が浮き出してくる。道は間もなく橋にかかった。黒い木橋は夢の国への通路のように、幽《かす》かに幽かに、その尾を羅の帳《とばり》の奥の奥に引いている。そして空の上には、高層建築が蜃気楼《しんきろう》のように茫《ぼう》と浮かんでいた。
「あなた! まあ! あなた! わたしを迎えに戻ってきてくだすったの?」
 彼は驚きの目で振り返りながら立ち止まった。白い着物を着て橋の袂《たもと》に佇《たたず》んでいたその女は、叫びながら彼に跳びついてきた。
「ほんとによく戻ってきてくださったわね。それで、坊やをどうしましょうね?」
 彼女は皓《しろ》い歯を見せて語りかけながら、彼の腕に掴《つか》まった。
「人違いじゃないですか?」
 彼は自分の腕を掴んだ彼女の手を、静かに引き放しながら言った。
「わたしになにもそんな、立派な言葉を使わないでもいいのよ」
「はは……どうかしてやしませんか?」
「そりゃ、するはずだわ。何もかも、因《もと》を言えばあなたが悪いからよ」
「ぼくが悪いんですって?」
「いちばん悪いのはそりゃあなたじゃな
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