―新田さ嫁に行ぐが、鉈《なた》で顔剃らせるが――って話は聞いでいだげっとも。」
「なじょして、この辺《へん》の男達よりも、もっと荒仕事しさせられんのだもの、新田の方では。」
「女の仕事の荒いの、新田のようだって言ってるぐらいだから……」
お婆さんは、また枕に頭を横たえた。電話口へ耳をあてるようにして。
「おらは、どこさも行がねえもは、婆さん。一生家にいで、独身《ひとりみ》で、叔母様ではあ、この家にいで稼いで助けるもは。おら、どこさも行がねは。」
「うむ? それさな。――やっぱり、新田さ行ぐより、町さ行った方がよがったがな。」
お婆さんは、自分がこの老衰の床に就く一月ほど前、町の方へ嫁に行くことに話が纒《まと》まりかけていたお美代を、無理矢理に新田へ、土地の素封家《そほうか》だと言うことだけで、いろいろと口説き落とした自分であったことを、ぼんやり思い出した。
「やっぱり、町さ行った方がよがったがな。財産など、なんぼあったところで、お墓の中さまで持ってがれるもんでねえし……」とお婆さんの話は、なんだか自分のことを言っているようでもあった。
お美代は前掛けの端を噛んでいた。そして、その前掛けで折々眼を押さえた。
「俺も、若《わけ》え時、牛馬のように――やっぱり、町の方さでも片付けば……」
「町さもどこさも、おらどこさも、一生どこさも行かねえは、婆《ばば》さん。」
お美代は到頭、両手で掩《お》うた顔を、お婆さんの布団の端に伏せた。やがて欷《すす》り泣《な》きは、声にまでなって来た。
三
「こっちの婆様《ばんさま》も、弱ってるぢでねえが?」
声と一緒に、外から障子を引き開けたのは、豆腐を売って歩く弥平爺だった。お婆さんはすぐ眼をあけたが、太陽の光線を受けて眼叩《まばた》きを繰り返した。寝た位置がよかったので、ちょうど障子の間から出した顔と対していた。
「なんだ婆様、ひどく弱ったでねえが……」
弥平は、頬骨《ほおぼね》の突き出た白髪の頭をお婆さん方へ寄せた。けれども、お婆さんは、眩《まぶ》しそうに眼を開いたまま何も答えなかった。
「婆《ばば》さん、弥平|爺様《じんつぁま》だ。豆腐屋の弥平爺様だ。」
お美代は布団を軽く叩いてやりながら言った。お美代の顔には血の気がいっぱい上がっていた。
「眩《まぶ》しいんだ。眩しいんだ。」と弥平爺は、自分の顔でお婆さんの顔へ日蔭をつくった。
「うむ。珍しい人が来なしたで……」
お婆さんは、遠い遠い昔の記憶を呼び起こすようにして、頬の上に微かな笑いの線をうごめかした。
「それさな。こっちの家の姉様が、こんなに大っきくなって、嫁御《よめご》に行ってるぢのだがら。」
「仙台の方さ行って、大変《おっかねえ》儲けだぢ話聞いだっけ……」
「なあにな。俺もな婆様、ひでえ長患《ながわずら》いしてしまって、儲げだ銭どこでなぐ使ってな。」
「ほうお、爺様も患《わずら》ったのがね。俺もこれ、この大《お》っき孫、嫁にやってがら、こうして床に就いたきりで……」とお婆さんは眼を閉じた。
「それに爺様も亡くなったぢね? こっちの爺様は面白い人でなあ。爺様に、頭の髪さ赤い布片《きれ》でも縛って、少しの間、廉《やす》ぐ売って歩いで見ろ――って言われたごとあったが、俺なあ婆様、そうして見だのしゃ。ほうしたら、売れで売れで、凍り豆腐は、あの爺様のでねえげ駄目だぢ評判で、随分儲げだのだげっとも……長患《ながわずら》いして、残した銭も、しっかり使ってしまって、またこうしてこれ……」
弥平爺は、声を低くして哀れっぽい調子に語尾を引いた。
「ほんでも、まだ丈夫になったようですてや。丈夫で何よりだ。」
お婆さんは、また眼を開けて弥平爺の顔を見た。
「さっきの話であ、おめえ、頭の髪も、髪さ結び付けた赤い布片《きれ》も皆鼠に喰われでしまって、ほんで駄目なったのだ――って話だっけ……」
お美代は、囲炉裏端で弥平が、人を笑わせ自分も笑おうという意識で話したこの話を思い出して、手で口を掩うて笑った。
「そう言うごとにでもしねえげ……」と弥平は、淋しい笑いを笑おうとした。併しそれは、笑いにはならずに、僅かに口辺の線が歪《ゆが》められたきりであった。
三人とも口を緘《ふう》じられた。どしんと大きな沈黙を横たえられた感じだった。お婆さんは眼を開いて弥平の老《お》い窶《やつ》れた淋しい顔に視線を据えていたが、それも長くは続かなかった。すぐまた眼を閉じてしまった。
「さあ、俺もそろそろ帰《けえ》るとするがな。」
弥平爺は、しばらくの沈黙の後、腹掛けの丼《どんぶり》を探りながら言った。そして、鞣革《なめしがわ》の大きな財布を取り出した。
「婆様、さあ、これで何が味っぽいものでも――爺の病気見舞だ。」
弥平爺は、五銭白銅貨を二三枚お婆さ
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