の乗馬|西樓《せいろう》は三戸に産す。」とありますが、生※[#「口+姜」、621−下−9]の産地は、宮城県玉造郡一栗村字池月の池月神社附近の方が、本当のようであります。陸奥や出羽から良馬の出たことは、『続日本紀』や『類聚三代格《るいじゅうさんだいきゃく》』などにも見えていますし、とにかく、東北地方から良馬を産出したことは早くから知られていまして、藤原俊成なども『長秋詠藻』の中で「みちのくのあらのの牧の駒だにもとればとられてなれ行くものを」と詠んでいます。

 昔話とか馬鹿聟話とかいうようなものは、風俗学や民俗学の方により多くの繋《つな》がりを持ちまして、文学の方にはあまり這入《はい》って来ていないようであります。柳田国男氏などは、特殊な研究家でありまして、郷土文芸の発生を、それらの昔話の中に見出そうとしているようであります。仍《すなわ》ち、その昔話こそ、郷土に於ける唯一の文学であるという見方であります。

 東北地方の地方色が、曲がりなりにも、文学の上に現れましたのは、やはり、芭蕉の『奥の細道』に於いてのそれを最初のものとしなければなりますまい。
[#ここから2字下げ]
「五月朔日の事
前へ 次へ
全16ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング