、……尋《つい》で東大寺に行幸、盧舎那仏《るしゃなぶつ》に礼賽あり、百官の位階を進めて天下に大赦し、……天平二十一年を改めて天平感寶元年となし、……陸奥国の調庸を免ぜらるること三年、小田郡は永免となり、其の年の天下の田租を免ぜられ、獲金に関する民人には位階を授けらる。……とあります。
それから、源平時代になりますと、牛若丸が京都の鞍馬山を出まして平泉に行きますときに、牛若丸を平泉まで伴《つ》れて行ってやったというあの金売吉次《かねうりきちじ》の父親も、宮城県栗原郡高清水附近の産で、高清水近辺から沢山の自然金を持って京都へ上《のぼ》ったという伝説があります。即ち、京都の或るお姫さまが、清水谷観音《きよみずだにかんのん》の(汝の夫たるべき男はみちのく[#「みちのく」に傍点]にいる)というお告げで、遙々《はるばる》と東北まで来て見ましたが、そんな男はどこにも見当たりませんし、そのうち路《みち》を迷って山へ這入《はい》りますと、炭焼き小屋がありまして、そこの炭焼き男に一夜の宿を乞うたのでありますが、その男が炭俵を編むのに使っている帙櫨《ちつろ》は、黄金の塊《かたまり》だったのであります。そこ
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