でお姫さまが(これは黄金と言って貴重なものだ)と申しますと、炭焼き男は(こんなものは裏の山には幾らでもがす)と言って、小屋の裏へ伴れて行ったのでありますが、そこには自然金がごろごろ転《ころ》がっていましたので、お姫さまは(この男こそ私の夫たるべき人だ)と考えまして、早速結婚をし、その自然金を馬に積んで京都へ上ったというのであります。そして、黄金を見て、早速結婚をする気になったこの近代的お姫さまから生まれたのが、金売吉次《かねうりきちじ》だというのでありますが、これは単なる伝説のようでありまして、どこまで信じていいかわかりませんけれども、東北地方を金産地としての伝説としては、寔《まこと》に面白い話であります。
産馬の方では、佐々木四郎高綱の、宇治川の先陣のときの池月《いけづき》(生※[#「口+姜」、621−下−5])の話が最も有名でありますが、池月と並び称されている磨墨《するすみ》もまた、南部|三戸《さんのへ》の産だったということであります。或る記録によりますと「源頼朝のとき宇治川先陣に有名な磨墨は三戸の産。生※[#「口+姜」、621−下−7]は七戸上野村より出で、熊谷直美の子小次郎の乗馬|西樓《せいろう》は三戸に産す。」とありますが、生※[#「口+姜」、621−下−9]の産地は、宮城県玉造郡一栗村字池月の池月神社附近の方が、本当のようであります。陸奥や出羽から良馬の出たことは、『続日本紀』や『類聚三代格《るいじゅうさんだいきゃく》』などにも見えていますし、とにかく、東北地方から良馬を産出したことは早くから知られていまして、藤原俊成なども『長秋詠藻』の中で「みちのくのあらのの牧の駒だにもとればとられてなれ行くものを」と詠んでいます。
昔話とか馬鹿聟話とかいうようなものは、風俗学や民俗学の方により多くの繋《つな》がりを持ちまして、文学の方にはあまり這入《はい》って来ていないようであります。柳田国男氏などは、特殊な研究家でありまして、郷土文芸の発生を、それらの昔話の中に見出そうとしているようであります。仍《すなわ》ち、その昔話こそ、郷土に於ける唯一の文学であるという見方であります。
東北地方の地方色が、曲がりなりにも、文学の上に現れましたのは、やはり、芭蕉の『奥の細道』に於いてのそれを最初のものとしなければなりますまい。
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