既に東北地方の東北地方らしい雰囲気――いかにも東北地方らしい味わい――というようなものが出ていまして、それが現代文学の上に縦に繋《つな》がっているということは、興味深いことであります。
東北地方のそういう記録、伝記、昔話などのうちで、就中《なかんずく》、黄金に関するものや、産馬に関するものや、馬鹿|聟《むこ》に関する話など、現代文学に繋がるもののうちでは最も面白いもののようでありますが、黄金に就いては「黄金《こがね》花咲くみちのく[#「みちのく」に傍点]の……」というような歌もありますように、昔の人達は、東北地方をば自然金の産地のように思っていたようであります。黄金産出のことを記録してある最も古いものは『続《しょく》日本紀』であろうと思いますが、それによりますと、聖武《しょうむ》天皇の天平《てんぴょう》二十一年の二月、百済《くだら》の王敬福という者が、今の、宮城県遠田郡涌谷村字黄金迫の黄金神社附近から、黄金を獲《と》って朝廷に献じたのが、日本で黄金の発見された最初のようであります。今年から千百八十四年前のことであります。このとき、天皇は大いに嘉尚し給い、幣を奉じて畿内七道の諸社に告げ、……尋《つい》で東大寺に行幸、盧舎那仏《るしゃなぶつ》に礼賽あり、百官の位階を進めて天下に大赦し、……天平二十一年を改めて天平感寶元年となし、……陸奥国の調庸を免ぜらるること三年、小田郡は永免となり、其の年の天下の田租を免ぜられ、獲金に関する民人には位階を授けらる。……とあります。
それから、源平時代になりますと、牛若丸が京都の鞍馬山を出まして平泉に行きますときに、牛若丸を平泉まで伴《つ》れて行ってやったというあの金売吉次《かねうりきちじ》の父親も、宮城県栗原郡高清水附近の産で、高清水近辺から沢山の自然金を持って京都へ上《のぼ》ったという伝説があります。即ち、京都の或るお姫さまが、清水谷観音《きよみずだにかんのん》の(汝の夫たるべき男はみちのく[#「みちのく」に傍点]にいる)というお告げで、遙々《はるばる》と東北まで来て見ましたが、そんな男はどこにも見当たりませんし、そのうち路《みち》を迷って山へ這入《はい》りますと、炭焼き小屋がありまして、そこの炭焼き男に一夜の宿を乞うたのでありますが、その男が炭俵を編むのに使っている帙櫨《ちつろ》は、黄金の塊《かたまり》だったのであります。そこ
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング