也。其夜飯塚にとまる。温泉あれば湯に入て宿をかるに、土坐に莚を敷てあやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寐所をまうけて臥す。夜に入りて、雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤蚊《のみか》にせゝられて眠らず持病さへおこりて消入斗になん。」
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これが芭蕉の眼に映じた飯塚辺の農家――たぶん農家だろうと思いますが――の有り様であります。そのような、貧しい農家の有り様は、今にして、東北地方の暗鬱な空気が感じられます。そのような暗鬱な生活の中にある生活は、真山青果氏も『南小泉村』の中で、如実に言っています。
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「百姓ほどみじめ[#「みじめ」に傍点]なものは無い。取分け奥州の小百姓はそれが酷《ひど》い、襤褸《ぼろ》を着て糅飯《かてめし》を食つて、子供ばかり産んで居る。丁度、その壁土のやうに泥黒い、汚い、光ない生涯を送つて居る。地を這ふ爬虫《むし》の一生、塵埃《ごみ》を嘗《な》めて生きてゐるのにも譬《たと》ふれば譬へられる。からだ[#「からだ」に傍点]は立つて歩いても、心は多く地を這つて居る。」
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青果はこう言っているのであります。私もこれには同感であります。同時にまた、東北地方の農家の炉端《ろばた》を歌ってよくその地方色を出している詩として、佐伯郁郎君の『故里の爐辺を想ふ』をも見逃すことは出来ない。
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「故里の爐辺を想ふと
心が明るくなる。
呑助の夫を助けて来た老婆の手
長い間土を掘つて来た老爺の手
多数の家族を抱へて苦闘してゐる若者の手
ずんぐりして 荒れてはゐるがみずみずしい娘の手、
取入れも済んで
木枯が吹く頃になると
今まで離れ離れであつたそれ等の手が一緒に爐辺に集まるのだ、
大根漬を噛み
渋茶を啜つて
作物《さく》の出来不出来
陽気の加減を語り合ひ
ぼんぼんと燃える焚火にあつたまるのだ、
喜びも 悲しみも
みんなそこで語り合ひ
みんなそこから生れるのだ、
故里の爐辺を想ふと心が明るくなる。」
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佐伯郁郎君はそう歌っています。これは東北地方特有の風景であります。東北独特の地方色であります。
芭蕉の『奥の細道』の中に松島の風光が詳しく記されてあります。
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「抑ことふりにたれと 松嶋は扶桑第一の好風にして 凡洞庭西湖を
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