」
彼等は市街地から、自分達の不調和な茅葺屋根の家を掻消して、新らたに瓦屋根の邸宅を構えた。それが現在の彼等の生活に、最もふさわしい居宅であった。土地の所有価値が暴騰して来たため、地主の彼等は、何等職業らしい職業を必要としなくなっていたからである。
そして金平や栄三や豊作など、自作百姓だった人達は大抵、道路を控えている自分の所有地の片隅へ店を開いた。資金の余裕につれて貸家を建てて行った。
「今度、店を開いたんですがね。なあに、百姓をしていたと思えば、そう儲けなくてもいいんですから……」
彼等はそう言って、住宅から住宅へ、葉書ほどもある大きな名刺を配って歩いた。
「若し、知ってる人で、土地を借り度いって人がありましたら、他所より、地代をまけて置きますから。」
斯う、彼等は、屋敷続きの荒地のことも忘れてはいなかった。
全然自分の耕地を持たなかった小作百姓の重次郎や長助ら七八人の者は、何処かへ移って行かないかぎり、近くの工場へでも這入って働くより途がなかった。住宅や工場のために、自分達の耕していた土地が完全に取上げられて了ったからであった。そして土地の所有者達は、その土地を荒して置きながらも、耕作のためには貸してくれなかったからだ。
「なあに、工場さ通って、飯せえ食いれあ、われわれに取っちゃあ、何方だって同じごったから……」
「わたしゃあ、どんなことしたって、そこえらの工場だけは行かねえ。面白くもねえ。一体、何んの機械を拵えんだか知んねえが、食う物の湧いて来る土地を潰してそんな工場なんか建てやがってさ。最後に、その機械でも食ってるつもりか? 俺は矢張、何処までも百姓を続けるだあ。」
甚吉は斯う言って、隣り部落の方へ移って行った。そして又そこで、ささやかな小作百姓を続けていた。その甚吉の気持が、工場へ行った重次郎には判然と呑込めなかった。
「甚吉さあに言わせるど、食う物を作るのが一番いいことになるが、工場だって同じごってねえか? なあ、おうい! 例えば、百姓仕事に使う機械だったら、その機械を、他の土地で使ってさ、その土地からうんと収穫があるようにしたら、そんでいいわけだからな。そのために少しばかりの耕地を潰したって、百姓をやめて職工になるものがあったって……」
六
隣り部落へ移って行った小作百姓の甚吉に取って、以前に自分の住んでいた部落であった現在の市街地は、まるで自分に関係のない場所となって行った。
殆んど自給自足に近い生活をしている甚吉は、自分の収穫物を、市街地へ売りに行くと云うようなこともなかった。時折に、荷車を曳いて人糞をあげに行くだけが、以前に自分の住んでいた部落との纔《わず》かな繋がりであった。
併し又それが、以前の小作人仲間と自分との気持を、纔かながらに繋ぐ機縁となっていた。甚吉は人糞をあげに行って、どうかすると、工場通いをしている人達に行き会うことがあった。そして、昔のことや現在のことや未来のことに就いて立話をした。けれども、重次郎に行き会って立話をするのは、それ以来今度が始めてであった。
「おめえの方はどうだえ? 甚さん、その後の具合は……」
重次郎は機嫌よく微笑んでいたが、その顔には、何処となく憔悴した影が流れていた。
「うむ。俺の方はまあ、どうにかやってるが、なあに、相変らず追われ通しだ。おめの方はどうだ? 少しは景気がいいのか?」
「景気がいいどこじゃねえ。悪くて仕様がねえよ。日給一円八十銭で、家族七人と来ちゃ、景気のいい筈がねえじゃねえか? そんで、近近のうちに何んかおっ始まりそうなんだよ。」
「やっぱりな。やっぱり、じゃ、工場だなんて大きな顔していても、景気はよくねえんだな?」
「工場は景気がいいんだ。工場の方じゃ、どんどん儲かって、又、分工場を建てるって話だからな。われわれ、そんで黙っちゃいられなくなって来たわけさ。幾ら工場の方が大きくなったって、われわれの賃銀は一向あがらねえんだからひでえや。」
「大きくなるもの、大きくなる一方だ。われわれは又われわれで……」
「今度の分工場ってのは、とても大きいらしいんだ。そら、甚吉さんの耕《つく》っている畠のところに、川に沿うて桑畠があるな。なんでもあそこらしいって話だぞ。」
「俺の畠のとこへ建てるって? 一体、工場の野郎共はなんと云う野郎だべ! この俺を、一体、何処まで追払うつもりだんべ? あそこへ工場が出来れあ、俺の耕ってる畠なんか、住宅に貸すからって、直ぐ又取上げられて了うのだから……」
甚吉は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りながら、急に、狂人のように叫び出した。
「だからよ。甚さん! 工場はそうして大きくなって行くのに、われわれは一向に……」
「一体、何処まで手を拡げて行くつもりなんだ? あんな
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