だ。
併し彼女は恵子のことを思い出した。母親の子守唄を思い出すと、やはり帰らずにはいられない気持ちに圧《お》しつけられるのだった。今日は勝手に遅くまで遊んで帰れ! という気持ちだったのだが、三枝子は遂に早く帰ってしまった。そしていつものところまで来ると、自然と母親の子守唄に耳を立てるのだった。
「接吻《キッス》をして頂戴よ。ねえ! 接吻をして頂戴よう。」
三枝子は、静枝のその声を耳にして、立ち止まった。胸が、がんがんして来た。
「ねえ! 接吻をして頂戴よう。厭なの? 厭ならいいわ。」
三枝子はその声の方へ歩み寄って行った。
なんというずうずうしさだろう! あれほど言ってやったのに、今夜もこんなところまで送って来ているのだ。
併し、その辺の暗がりの中には、誰の影も無かった。三枝子は立ち止まった。
「君の、接吻をして頂戴よ! は大体いいがね。厭なの? を、もう少しなんとか出来ないかね?」
見ると、そこの街裏にガランとしたバラックの建物があって、その窓の中に静枝のように絢爛な着物を着た若い女や、髪を長くした青年がたくさん坐っていた。そしてその広い板の間の中央に出ているのが静枝だっ
前へ
次へ
全11ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング