が、むろん「どこを歩いていたんだね?」などとは訊かなかった。ただ、私は貞子の靴先を見ただけである。貞子の靴先は、夜露のためしっとりと濡れていた。そしてその上に、細かな褐色の秋草の顆《み》がいっぱいについていた。初秋の高原地帯の草原の中を歩くと、屹度くっついて来る顆《つぶら》である。私はそしてすぐ自分の書斎に帰った。峻はそれから一時間ほどして帰って来た。これは一晩中夜露に濡れて立っていようと、決して「誰かあけてくれ」と声をかけることの出来る青年ではない。ただ、無暗《むやみ》とがちゃがちゃさせていた。併し、貞子はどうしたのか立っては行かないので、私は仕方なく又立って行ってその扉をあけた。そして私はすぐに峻の靴先を視詰《みつ》めていた。やはり彼の靴先も露でしっとり濡れ、その上に秋草の顆《み》がいっぱいについていた。褐色の、楕円形の花のような、細かな細かなその顆《つぶら》は、貞子の靴先についていたのと、全く同じものであった。同じ草地からの顆《つぶら》であった。私はひどく明るい朗らかなものを感じさせられた。そして私は腹の底で「峻も貞子も、注意して靴先を拭って帰るものだよ」というようなことを言わず
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