って乗り換えのために戸口へ立って行った。エンジン装置の自働開閉扉が、するするっと開いた。
二
彼女は、すっぽんを洗面器に入れて、自分の室に這入《はい》って行った。
彼女は洗面器の中の、すっぽんを視詰《みつ》めながら、首を出すのを待った。すっぽんの生血《なまち》を取るのには、その首を出すのを待っていて、鋭利な刃物でそれを切るのだと教えられていたからであった。
彼女は電車の中での、自働扉に指を噛まれた男のことを思い出した。あの男の指のように、このすっぽんの首がぐしゃぐしゃに切断されるのだ。彼女はそれを考えると厭《いや》な気がした。
併し彼女は、右手に、鋭利な大型の木鋏を握って、すっぽんが首を出すのを待たなければならなかった。これだけは他人に頼むわけにはいかないような気がしたし、女中達へ命ずるのにも彼女は気がさした。彼女は秘密にこれを処理したかったのだ。
彼女の血液の衷《うち》の若さは、近頃ひどく涸《か》れて来ていた。この血液の衷から渇《かわ》いて行くものを補うために、彼女はいろいろなものを試みた。例えば「精壮」とか「トツカピン」とか。併し、そんなものでは間に合わないのだ。が、彼女は涸れるものを涸れるままに、渇《つ》きるものを渇きるままに快楽を忘れることは出来なかった。日常の生活の上ではなんの心配もいらない有閑階級の、没落の途上で想像を許された唯一の快楽のために、彼女は、すっぽんの首を切ってその生血を啜《すす》らねばならなかったのだ。
首を出した。すっぽんが首を出した。
彼女はその首を木鋏で切断した。と、その首は銜《くわ》えていたものを吐き出した。白い指の一節だった。生爪の付いている繊細な指の一節だった。
三
彼女はベッドの上で朝刊を拡げた。
彼女は或る記事に眼を惹き付けられた。
[#ここから罫囲み]
省線荒しの掏摸捕わる
犯人は食指の無い男
[#ここから2段組み、段間に罫]
二十日午後七時三十分、桜木町発東京行省線電車が新橋有楽町間を進行中、鼠色の鳥打を冠り、薄茶の夏外套を纏《まと》った四十前後の男が乗客婦人のオペラ・バッグより蟇口《がまぐち》を抜き取ろうとしたのを発見され、有楽町駅にて警官に引き渡された。
犯人は右手の食指が無い男で、その語るところによれば、この男は、最近頻々として京浜間の省線電車を荒らし
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング