最初、時々背後の方を振り返りながら、漫然とした静かな歩調を尾張町の方へと向けていた。
 彼はその後から、婦人のほっそりとした後姿を見失わない程度に離れて、後から後からと流れて来る漫歩者の肩の間を游《およ》いだ。あの綺麗な立派な指を見逃《みのが》してはならないと思いながら……。あの指こそ、この指環のものだと考えながら……。が彼は、五十|間《けん》とは歩かぬうちに婦人を見失ってしまった。
 最初、婦人は彼の先に立って歩いていた。が間もなく、婦人は彼の背後を歩いていた。そして婦人を見失った彼は、時々立ち止まって背後を振り返ったり、背伸びをするようにしながら先を急いだりした。婦人は彼が背後を振り返ると、露店の前に立ち止まって店の品物などを見ていた。彼が背伸びを始めると、婦人は急ぎ足にそのすぐ背後まで追い付いて行った。彼は何度も背後を振り向く。彼女は素早くショー・ウインドーや露店に吸い付くのだ。
 尾張町の街角まで来たとき、婦人がそこに停まっている自動車に乗り込んだように思った。彼は身体《からだ》を横にして、そぞろ歩いている人々の肩の間を駈け抜けた。が、五六歩ほど飛んだとき、自動車は爆音をあげて
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