走り出した。続いて交叉点の交通巡査がピリピリーを鳴らして信号器が赤燈に廻転した。
 路を遮られて追っ駈けようの無くなった彼は、舌打ちをして四辺《あたり》を見廻した。と、そこの足掻《あが》きをするような爆音を立てながら停まっている乗合自動車の横に、婦人が、何かを思い惑うようにして立っているのだ。自動車へ乗ったと思ったのは錯覚だったのだ。併し婦人は、驚異の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》っている彼の顔を見ると、すぐに乗合自動車のステップに足をかけた。彼は、動き出したその乗合自動車に飛び縋《すが》った。
 車内は山の手へ帰る人達で一杯だった。婦人は漸く中の方に腰をおろすことが出来た。彼は無理矢理に這入《はい》って行った。そして彼は婦人の前に立った。と、婦人は、彼の顔を見上げた。彼は浄《きよ》い恥ずかしさを感じて、視線を距てるためにポケットから夕刊を抜いて拡げた。
 併し、彼は夕刊を読むのでは無かった。彼の空想は婦人の美しい指の上で跳っていた。あの指の上でなら、この指環は、きっと素晴らしい芸術的な雰囲気を描き出すに相違ない。あの白い指の上で、青く赤く紫に、きらきらと、輝い
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