」
「いや、ちょっと!」
彼はそう言いながら彼女の指に指環を嵌《は》めてみた。併し指環は固くてどうしても嵌《は》まらなかった。
「どうなさるんです?」
彼女は彼の顔を怪訝《けげん》そうに視詰めた。
「やっぱり君の指も、駄目だね。綺麗は綺麗だが……」
彼は彼女の手を投げ出すようにした。彼女の指は、節が高いばかりでなく、彼の理想と合致するためにはあまりに短かった。
「駄目ですわ。私の指は節が高くて。」
「少し短いね。もう少し細くて長いと、この指環を嵌めてやるんだが……それに爪が……」
彼は眉を寄せるようにしながら、掌の中に指環を振り転がした。
「まあ! そんな立派な指環を? そんな綺麗な……」
「指環が立派過ぎると、結局、立派な指というものが無くなるんだ。馬鹿馬鹿しい。」
「ここに一人、綺麗な指の人がいるわ。そりゃ、とても素敵な指よ。もう少しすると来るわ。」
「よし! その人が来たら会わしてくれ。本当に綺麗な指をしていたら、この指環を上げよう。どうせ綺麗な指に嵌めてやろうと思って買って来た指環なのだから……」
彼は軽い興奮の表情でカクテルのグラスを唇に持って行った。
彼は最早《もはや》常人ではなかった。彼は指の偏執狂《へんしつきょう》だった。死んだ愛人の彰子《あきこ》の手のように素晴らしく綺麗で立派な指を探ろうとする偏執狂だった。
彼の愛人だった彰子の手。――石蝋に彫り浮かべたような白い指だった。その一本一本の指は靭《しなや》かに、繊細な神経を持った生物のように動くのだった。肥っていて丸味を持ってはいたが、整った線で細長い感じだった。そして、鈍白《にぶじろ》く半透明の、例えば上簇《じょうぞく》に近い蚕《かいこ》を思わせた。爪もまた桜色の真珠を延べたような美しさだった。――彰子は綺麗なその手のために、その立派な長い指のためにピアニストを志したのだった。
彼は仏蘭西《フランス》へ渡るとき、彰子のその優雅な指を飾るために、極めて立派な芸術的な指環を買って帰ることを彼女に約束したのだった。そして彼の巴里《パリ》での三年間の生活は、殆んどその一個の指環のために費されたと言ってよかった。彼は貯蓄に努めた。立派で綺麗な彰子の指を、やがてはピアニストとしての芸術家彰子への指を飾るべき一個の指環のために貯蓄した。そして彼は絶えず、指と指環との調和を考え続けた。ピアノのキ
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