宛てた遺書の一部に過ぎないものだった。
高津《たかつ》先生。長い間いろいろとお世話さまになりました。いつまでもいつまでも先生の膝下《しっか》にお導きを承りたく願っていたわたしではありましたが、悪戯《いたずら》好きな運命の神さまは辛《つら》い永久の別れを命ずるのでございます。
しかし、わたしはお別れに臨んで、悪魔の杖《つえ》によって隠されたる原因をはっきりと申し上げておきたく存じます。わたしの教え子の千葉房枝がみずから果てて間もないのに、わたしがまた同じ運命を辿《たど》りましたなら、さぞかし世間の人々を驚かし、一つの謎《なぞ》を残すに相違ないと存じますから……。
高津先生。先生はわたしがこういう道を選びましたら、やはりこの原因は吉川訓導の蟇口に絡んでいるのだとお思いでしょうか。そうお思いになるのもご無理のないことでございます。そして、直接には実にその蟇口に原因を発しているのでございます。一個の暮口、十円足らずの金銭がこうして二つの魂を奪い、生命を攫《さら》っていくのかと思いますと、膚《はだえ》に粟《あわ》の噴くのを覚えます。
しかし、その表面の物質的なものの裏に、もっともっと複雑した精神的なものがあったのでございます。そしてそれは、ある教師の不道徳な行為から出発しているのでございます。そのある教師とは、やはり先生の膝下に教鞭《きょうべん》を執っている吉川訓導なのでございますが、わたしはその理由を詳しく証明いたしたくはございません。彼のやがての結婚が、もっとも的確にこれを証明してくれるからでございます。
わたしは先生の膝下にまいりましてから間もなく――甚だお恥ずかしいことですが、これはわたし一個人に関することでなく、千葉房枝の名誉にも関することですから、もう何もかも申し上げてしまいます――わたしは吉川訓導と、深い深い恋に落ちたのでした。そしてわたしたちは、お互いの愛情を交換すべく、一つの方法を思いつきました。わたしは雨の降らない日の休業時間には、決して生徒を教室の中に置きませんでした。そして吉川訓導は、シャツ一枚になって生徒とともに運動をいたしました。この二つの新しい運動奨励法は、校長先生をはじめ他の先生がたからたいへんほめていただいたのですが、吉川訓導はその洋服を、きっとわたしの受持ち教室の窓に投げかけておいたことをお気づきでございましたでしょうか。わたした
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