とうと決心した時既に、いつかはこういう生活が来るだろうと覚悟はしていたのであったから、別に狼狽《ろうばい》はしなかったが、私達は全く生活に困ってしまった。どこを探しても職は無し、原稿は売れず、殆んどどうしていいか判らなかった。そこで私は筋肉労働をやることにきめたのだが、その時はもう労働を探しに行く電車賃も無かった。しかし、今になって他の道に走ったって恵まれるものでは無い! 石に噛《かじ》りついてもやって見せるという気が私の心の中に起こった。宮地氏から借りた金で武蔵野村に行き、いよいよ筋肉労働を始めたのは五月の七日であった。初めの中は毎日、その日の十一時間の労働のことを思っては、瞼《まぶた》に泪《なみだ》を溜めて出て行った。だが私の生活はやがて精神的にも恵まれて来た。私は仕事から帰って来て創作をするのをその日の楽しみにした。昼の間、十一時間も労働をしながら思索した事が夜になって三四枚の原稿に変わった。「文章倶楽部」に載った「首を失った蜻蛉」も、この頃に、労働を始める前の、求職に苦しんでいた時の事を書いたものであった。私は毎日、仕事場では一篇の詩を作ってかえり、夜は大抵十一時頃まで小説を書
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