文芸欄を設けることになり、記者を募集しているのを新聞広告で知り、ことによったらと思って応募して見たらうまくパスし、探訪や編輯をやらされ、翌年の春まではそっちで食べていたようなものの、結局、得るところは四つか五つかの短篇を書き得たに過ぎなかった。

     職に苦しむ

 一九二三年の五月になって、私の生活は、……内的生活も、実際生活も……全く一変した。私は従兄弟の世話で再び市役所に逆戻りすると同時に、二年の間恋し合っていた女と結婚をした。その結婚がまた親に逆《さか》らった自由結婚だったので、今までは幾らかずつの補助を受けていた親からも全く構ってもらうことが出来なくなり、私は自分の腕一本で、貧と闘いながら自分の目的への途をすすまなければいけなくなった。
 私は結婚をしてから暫《しばら》くの間は、妻と共に詩ばかり作っていた。創作の方の収穫は秋までに、短篇小説を七篇と戯曲を一篇きり書けなかった。宮地嘉六氏と内藤辰雄氏の鞭撻《べんたつ》のお蔭で、かなり力の入れどころも知ったように思ったが、八月号の「新興文学」誌上で、宮島新三郎氏から、内面描写が足り無いという評を受けてからは、私は自分の力がス
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